看護師の求人を出した病院

私の病院では、最近患者の数が増えてきたこともあり、慢性的な人手不足に陥っている。そのため看護師の求人を行うことにした。一刻も早く人手が欲しかったので、履歴書にさっと目を通し、大きな問題がなければ採用を決めた。看護師の求人を出したおかげで、新しく5人の看護師を雇い入れることができ、人手不足は解消できそうだ。
世の中を職業で差別しようとは思いませんが、やはり重要な職業というものはあると思います。その中の代表的な職業が医師でしょう。その医師の求人は一般人から見るとピンと来ないですが、流動性が必要な今の世の中では重要な要素と言えるかもしれません。場合によっては人の命を救うことになる職業ですから、その医師の求人が効果的に機能して人命が救われるような機会が多くなればとても素晴らしいことだと思います。
 宮城県の村井嘉浩知事は5日、東日本大震災の被災者が入居する仮設住宅建設の完了時期について「今のペースでは間違いなく半年以上はかかる」と述べ、早期の整備は困難との認識を示した。

 約7万人が避難所生活を送る宮城県では3万戸の仮設住宅建設を目指すが、土地確保の難航や資材不足により、2400戸分しか確保できていない。

 知事は「寒くなって雪が降る前には何とか完了したいと思うが、今のペースでは1年ぐらいかかる」と語った。【高山祐】

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 「お父さん、生きとったん」。東日本大震災で宮城県女川町の高嶋光子さん(67)は、夫の紘さん(69)と震災発生後5日ぶりに再会した。光子さんは外出中に被災、津波で1階が水浸しとなった自宅にこもっていた紘さんと連絡が取れないままになっていたが、神戸市西区に住む長女の安酸(やすかた)由理さん(37)が、2人を引き合わせた。夫婦は今、同市須磨区の市営住宅で再び仲むつまじく暮らす。

 光子さんは自宅から約50キロ離れた同県大崎市のパソコン教室で受講中に被災した。同市の高校体育館に避難し、すぐに自宅にいる紘さんに連絡を取ろうとしたが電話はつながらなかった。

 一方、紘さんも高台にある自宅よりさらに高い場所に避難していた。その場所から押し寄せる巨大な津波を目の当たりにした。津波は岸壁を越え、住宅をのみ込んでいく。「まさかここまでは来ないだろう」。しかし、自然の力は想像以上で、津波はすぐ近くまで押し寄せた。自宅の1階部にも泥水が流れ込んでいた。紘さんも光子さんと連絡を取ろうとしたが電話はつながらなかった。紘さんは自宅2階で光子さんの帰りを待つしかなかった。

 光子さんは震災翌日、避難所の電話から由理さんに無事を伝えた。その日、由理さんは夫と一緒に、車で被災地に向かった。阪神大震災を経験していた由理さんは携行缶にガソリンを入れ、3日間かけて避難所にたどり着いた。母と再会すると、今度は父紘さんを捜しに女川町へ。「こんなにひどいとは」。由理さんが見たのは、海と陸の境がわからなくなっていた古里だった。がれきの山をかいくぐりながらたどり着いた自宅で紘さんと再会。紘さんは「こんな所まで来てくれたのか」と絶句した。

 紘さんを連れ、光子さんが待つ避難所に戻った。避難所で紘さんと光子さんは手を取り合って無事を喜んだ。「手をつないだのなんていつ以来かしら」と照れながら、再会の瞬間を振り返る。その夜は、家族は一緒に女川町の自宅でろうそくの明かりで過ごした。余震がある度、由理さんは阪神大震災を思い出した。

 高嶋さん夫婦は先月18日に神戸市営住宅に入居。仕事の関係で2人は約30年前、神戸で過ごした時期がある。最近は当時の友人らが部屋に訪れ2人に笑顔も戻ってきた。ただ、女川の知り合いが亡くなったと連日、携帯電話に連絡が入ると夜も眠れなくなる。「水につかった1階には両親の位牌(いはい)がある。早く戻りたいが、元通りの生活ができるだろうか」と不安が募る。【米山淳】

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 東日本大震災では、多くの警察官も犠牲となった。宮城県警仙台南署荒井交番の渡辺武彦警部(58)=当時巡査部長、2階級特進=は発生直後、管内の海に近い仙台市若林区荒浜の交差点で車の避難誘導に当たっていて津波にのまれ、殉職した。渡辺警部の誘導で助かったという同県岩沼市の会社員鈴木和美さん(26)が5日、同署で記者会見し「渡辺さんがいなかったらだめだった」と感謝を述べた。
 鈴木さんは、保育所にいた長男尋也ちゃん(1)を迎えに行く途中で同交差点を通り掛かり、渡辺警部に「早く(高架道路に)上って」と誘導された。「ここまで来るはずない」と思ったが、間もなく茶色い壁のような波が押し寄せ、間一髪逃れたという。
 鈴木さんは3日に同交番を訪れ献花。「救っていただいた命。悔いのない生活を送りたい」と話した。
 同署によると、渡辺警部は1日に勤続40年を迎える予定だった。警察官人生のほとんどが交番勤務の地域に密着した「お巡りさん」で、少年の非行防止に熱心に取り組んでいたという。
 管内にある仙台市立蒲町中学校の紋谷洋三教頭(50)は「夜中に問題が起きても嫌な顔一つせず対応してくれ、生徒教員一同、足を向けて寝られないほどお世話になった。卒業式も終わりあいさつに行く矢先だった」とショックを隠せない様子だった。 

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